見えなくなっていく

こんにちは。

 

今日は眼鏡を買いに行ってきました。15000円でした。びっくらぽん案件です。

 

さて、今回は目に関する話を少し。

 

目が見えていることって普段気にする要素にもならないほどに当たり前ですよね。でも、もしどんどん目が見えなくなって将来何も見えなくなってしまったら、どうでしょうか?想像がつくでしょうか?今日、私は目が見えなくなっていく恐ろしさを少し体験しました。

 

前回眼鏡を買ったのは高校生の時だったので今日は実に5年ぶりの眼鏡選びでした。まあご存知の方も多いかと思いますが私は強度の近視です。コンタクトの度数は−12.00。眼科の先生にもおお〜ツワモノだね〜〜〜と言われます。

 

誰がツワモノじゃい…

 

レンズを作るべくいざ視力検査に臨んだのですが、ここでまたもやびっくらぽん。片目ずつ隠して前を見ると見事に右目だけ全然見えませんでした。眼鏡をかけているのに、まるで右目は裸眼で見ているかのようにぼんやり。目が悪い方は分かると思うのですが、度が強いレンズを入れてもらうと視界がはっきりして「おっ、見えるぞ。」てなりますよね。私は今日それを一回も体感することがなく、「え、変わらない。見えない。」としか感じることができませんでした。その後も度数を上げながら右目の検査を続けたのですが、結局7段階上げても見える景色は変わりませんでした。

 

「これ以上度を上げると目が疲れて頭が痛くなることもあるでしょう」

 

最終的にそう言われ少し見えればそれでいいです、と肩を落としてお会計。もう、ショックの一言でした。

 

よく目が悪い子は本の読みすぎだとかゲームのしすぎだとか言いますけど、私は漫画もゲームも原則禁止の家庭で育った上、小学1年生の時には既に眼鏡をかけていました。眼科の先生曰く、遺伝に関係するのか等といった近視の詳細は実はまだ解明されていないそうです。

 

何でこんなに目が悪くなってしまったのだろう。この先どうなるんだろう。昔から目が悪いことはアイデンティティーの一つみたいにネタにしてきましたが、そろそろ本気で笑えない域まできているようで不安です。

 

当たり前が当たり前でなくなっていく感覚というのは、本当に怖いものです。特に視覚は情報の大部分を占めるものなので余計に怖いです。10年後鏡に映る自分の顔さえ分からなくなっていたらどうしよう。そんなしょうもないことまで考えてしまいます。

 

見えるうちに、見たいものを。

前向きに生きていかないといけませんね。

なんかツラツラと書いているうちにものすごいネガティブな感じになっちゃいました。最後だけでもポジティブにね。あ〜〜せめて自分が人生で一番綺麗な瞬間であろう花嫁姿だけはこの目で見たい。ブルーベリーにでも縋ろうかなあ。

おしまい。